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父と母

yukiwaaさんは、身の回りのものを心から慈しんで、一日一日を大切にお過ごしになっておられますよね。これは生活の中で最も大切なことだと思います。私はすっかり忘れていました。

毎日のご飯も、ほんとに嬉しそうに召し上がっていらっしゃる。読んでいて、あんなに気持ちの良いものはありません。

着付け教室、織物教室、サボらないで下さいね。

これは「青い蝉」を書かれているヘンリーさんから頂いた言葉です。

この中の 「身の回りのものを心から慈しんで」という言葉が、なんだか“ほんまやなぁ”と思いました。
大阪弁でいう、うれしがりやなんです。

私の父親は今で言うクレーマー・クレーマーでした。
戦後間もない頃の話です。
そして母は3人の子持ちの戦争未亡人。
その二人が出会い、恋に落ちたか定かではありませんが、お互いの境遇に同情したと言う方が正解でしょう・・。(想像も多いですが・・)
母は父の息子の面倒を見ながら、父は母の息子の野球のユニホームを調達したり(戦後間もない頃は物資がなかったらしいです)で、お互いが好感を抱き・・そして私が生まれました。

しかし平和は長くは続かず、父の妻が帰ってきたのです(ややこしいですが・・)。男に騙されて、帰る所は子供のいる父の所しかなかったようです。
又、父も息子の事を思い許したそうです。

そこから私の母と父のケンカは毎日続いた。

そして父は元のさやに納まったのです。

おばさんは平凡な人。(ちょっと出て行く位はこの時代は珍しくなかったのでは・・想像です)
母は勝気で頭の回転の速い昔の人が言うには「女にしとくには勿体無い」人だったようです。
父は田舎者で素朴でカイショなしで人が良いだけのおっさん・・母に言わせると、そんな人だったそうです。

そんな二人が平凡な生活を営めるはずもなく、暫くして分かれることになるのですが、そこで困ったのは私だけです。
最初は父の姓で学校へ行きましたが、私は返事もしなかったそうです。
暫くして母の籍に入りました。

戦後間もなく母は、16歳、14歳、12歳、3歳の計4人の子供を抱えての
「女の一生」の始まり~始まりでした。
だから、母は仕事の鬼にならざるを得なくて、私は平凡な家庭の幸せをテレビでしか知らない境遇にならざるを得なかったのです。つづく・・・

だから、うれしいんですよ!
自分でタイのアラを料理できる事が・・
家庭に旦那含めて4人も家族がいて、たまに食事が出来る事が・・
小さな庭にきれいな花を植えられることが・・・
苦労して働いて家庭を守っている人がいる事が・・・
そして、人との小さな関わりも・・・・

「生きてるだけで楽しい」と思える人になりたい。

楽しくイキイキ生きていければ幸せ~~。

残りの時間を大切に過ごしたいなぁ~~。




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   幼い頃の私。何時も寂しそうな顔をしてる。。。細いしね。(うらめし~)

by yukiwaa | 2008-10-08 16:02 | 生きものいきいき