どこまでも、どこまでも、まっすぐに空へのぼって行きました。
病院の待合室。
テレビはNHKの「趣味悠々」がかかっていた。
見るともなく見ながら、頭は姉のことを思い出していた。
はにかんだ笑顔の姉の顔。
風呂の水槽で白くなって傷つき亡くなっていた姉の顔。
それと同時に「よだかの星」(銀河鉄道の夜ヨリ)がリンクする
「あぁ、かぶとむしや、たくさんの羽虫が毎晩僕に殺される。そしてその只ひとつの僕が今度は鷹に殺される。それがこんなにつらいのだ。ああ、つらい、つらい。僕はもう、虫を食べないで飢えて死のう。いや、その前にもう鷹が僕を殺すだろう。いや、その前に、僕は遠くの遠くの空の向こうにいってしまおう。」
夜だかはどこまでも、どこまでも、まっすぐに空へのぼって行きました。
もう、山焼けの火はたばこの吸殻のくらいにしか見えません。
夜だかはどこまでも、どこまでも、まっすぐに空へのぼって行きました。
蜘蛛膜下出血で左半身不随になった姉はそれでも亡くなる寸前まで自分の事は全て自分でしていた。
しかし、倒れてから7年目に兄の世話になるという、姉の自尊心をきずつける事が最後に起こったようだ。
姉は自らの死を自らで決めたように、飲んではいけない缶ビールを飲んで風呂に入ったのだ。
姉は、どこまでも、どこまでも、まっすぐに空へのぼって行きました。
誰の世話にもならない為に。
昭和11年1月1日に生まれた姉は、誰からも忘れられないように
平成19年3月3日お雛様の日を選んだように亡くなったのです。
私達がたばこの吸殻のくらいにしか見えないぐらい
姉はどこまでも、どこまでも、まっすぐに空へのぼって行きました。
空で姉は威張っています。
「あんたら弟や妹の世話にはならんでー。それよりもあんたら、しっかりしいや」と。
何処までも、何時までも皆の姉。
一番上の姉は家族を支えて生きてきた。
みんなお世話になって、所帯をもった。
弟や妹が独立して「やれやれ~」思うたら、
甥や姪が「トクおばちゃん~~!」とやってきた。
最後まで頼られていた姉。
頼ることはなかった。
それが姉の生き方。
あなたの生き方を、私は忘れられない。



姉の残したもの


by yukiwaa | 2008-10-01 15:04 | 生きものいきいき | Trackback | Comments(8)
ジャズがお好きだったんでしょうか。身体は泥まみれ油まみれになっていても心は汚れていない。そのことを表現しているようです。
たぶん母も同じような境遇になったら、同じ道を選ぼうとするのではないかと思います。自分が世話をすることはあっても、自分は誰の世話にもなりたくないと、そういう母の気持は、既に感じてしまいます。
母の姉・・・京都の伯母達にも同じように感じます。
娘としては、何と言って良いのか、どうしたら良いのか、本当にわかりません。考えると、心が痛みます。
だからつい、先のことは考えないようにしてしまいます。
老いてなお楽し・・とはいかなかったのです。
「老い」と脳の血管の支障は姉をよたかの星のようにしましたが、感性は若い頃のままでした。私だけはそう、思って接してました、少なくとも。。。
姉の事を思うと今でもジーンとします。
「あおあおと 鈍くてかれる 秋刀魚やき みをほぐされし にがみをもくらう 」これは明子さん(道々日記)の詩ですが、人生は良いとこどりばかりは出来ません。「にがみをもくらう」気でないとあかんと姉は教えてくれたのかもしれません。
考えたくない時は考えなくて良いと思う。
「何を大切に生きてきたか」かで対処の仕方も変わると思います。
姉はあれで幸せだったと思います。
お母様まだ、若いです。姉は倒れたのと身寄りがきょうだいだけでしたので、でも、自分で選んだ道でした。
どこか、aamuiさん姉のイメージなのです、勝手にイメージしてゴメンね。
姉よりaamuiさんは色んな人の温かさを持っていて、それは大きな違いなんですが。