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生きているのに、、

一生懸命に、こうなんだ!こうしよう!頑張らんと!これはこうでなければならない!こうしたらこうなる!

色んな事を考えて生きてきたつもりだったけれど、難しい事よりも「経験値」の高さって大事なんだなぁ~と
今頃しみじみと感じる。
大学で勉強をして、又社会人になり学ぶ、学ぶ事は一生だけど、色々な経験は若いときに凝縮されていて、それらが、濃く出る人も薄い人もいて、それなりに生きているんだけど、やはり、面白いと感じるのは「経験値が濃くて、深くて、味のある人」。
深くて、濃いだけでは詰まらなくて、
そこに、その人なりの<味>があると、ものすごく、魅力的に感じる。

何が言いたいかって?

私には「足らんものばかり」だと思う。
それは、もう、如何しようもないことなので、このまま、ありのまま、生きてゆく以外ないけれど、
神様が「何か一つ望みをかなえてやる」と仰ったら、私は学生時代に戻り、もう一度大学で勉強がしたい!!
生意気で、学校の授業をどこかでバカにしていた私。
受かった大学に行かず、(行けずが正しいかもしれない)
後悔した時、受験して行った学校を私は余り好きでなかっった。

反省しきりです。もっとまともに真正面から向かい合い勉強してたら、もう、すこし味のある人間になれたかも知れないのに・・と思う。
なぜ、与えられた環境で頑張らんと、文句が先に出ていたんだろうか?
不遜な態度の私でした。

そして、今頃、焦っても、
記憶力はポチポチだし、
理解力もポツポツだし、
集中力もポットン、ポットンだし、
無駄な努力で無駄な失敗ばかり。

私はめでたくて、「失敗は成功の元」を信じて、何せ止まりかけそうな私の脳みそと身体を動かし、やり出す。
そこに、綿密さも無ければ、慎重さも、下調べも不十分。
だから「無駄な失敗」をする。
「無駄な失敗がある」・・・そういえばこの歳になれば肝に命じんとあかん言葉でした。

そんな自分が何を書くんだと思う。
感性を生かして書けば、人に触る事もある。

「感性」、描写のような「感性」を感じさせる小説が若い頃は好きで、今もそれは変わらずにいる。

でも時代は変わり、今の小説には絵を描いているよう描写の感性の表現が少ない。

分かった事を「分かった」と書く。

わたしのブログも「分かった事」を<分かった>とかく。

なんの日常の些細な描写もなく^^^
これでは面白くも、味もない。

如何しよう?

by yukiwaa | 2011-10-13 23:49 | 生きものいきいき