人気ブログランキング | 話題のタグを見る

一人になるということ。

2009年5月から裁判員制度が実施されます。

今、一度「人の死」について考えてみたい。
宗教学者、1931年生まれの山折哲雄さんと小説家、1975年生まれの平野啓一郎さんの対談からの抜粋です。

山折:
日本社会は他者とのつながりが一番重要といい続けてきた。しかし、他者は不気味な他者でもあり、殺意を持って殺到してくる他者でもある。「秋葉原事件」では、ネットの上でも一人、社会でも一人だ」と、一人であることの絶望的な深さを感じていた彼の告白が衝撃だった。「一人」は歴史の中でポジテイブな意味を持ってきた。「一人」は歴史の中でポジテイブな意味を持ってきた。「ひとりのなることで、人間は真に自立する」と言う意味の言葉が禅にもある。一人であることがこれほど、ネガテイブにとられる時代になったと恐ろしく感じる。
平野:
若い人は「自分とは何か」という事が心許なくて、コミュニケーションが遮断されると急に社会的に孤立し非社会的な人間ではないかと不安を覚えのではないか。世代内の団結とか連帯が難しくなっているところに、ある種の孤独があるのではないか。

ー・・・・・・・・・・・-------・・・・・・・
山折:
「殺すな」と言う言葉が日本の社会から聞かれなくなった。これは重要な問題。変わりに「命を大切にしよう」と言うが、それはリアリティーの重さが伝わらない。ブツダもモーゼも十戒で「殺すな」と言った。人間は命を殺さずに一日も生きていけない存在であるけど人類は「殺すな」と言い続けてきた。
平野:
犯人が死刑になった後、遺族が如何感じるのか、本当に満たされるのか、問いたい。社会として「殺した奴は死刑になって当然」と対処しようとする事に強く反発します。どんなに卑怯な殺人を犯しても社会全体は「殺さない」と言う態度を貫かない限り「殺すな」というメッセージは発せない。ただ、それは遺族に重い現実を受け止めることだから小説はそこをしっかり書かないと気持ちを置き去りにしてしまう。

平野啓一郎は1975年生まれ、2008年に「決壊」という小説で無差別殺人を扱った。
私はあわてて本屋に駆け込んだが、彼の「決壊」と言う本はなく、私が手にしたのは五木寛之の「人間の覚悟」であった。

その本はマダ途中でありますが、やはり現代の「日本社会」の危うさからの発信だった。
そして不思議な事に仏教の教えが出てくるのです。

今一度、迷える精神は「日本古来の仏の教えから」救いを読み取れるのかもしれない。

裁判員制度は「死刑」が増えるのではないでしょうか?
任命された人は心してかからないと危ない結果を呼ぶことになるのではないか?
我々は「死刑」を如何、受け止めればいいのだろう?

by yukiwaa | 2009-02-04 15:30 | 社会  山登りしんしん