十兵衛2歳

僕、2歳になりました。
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小さい頃の僕です。
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      毎日の散歩道です。
      嵐山が見えます




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お父さんと~~(ブリーダーさん店)









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お母さんと~~(ブリーダーさん店)

ーーーーーーーまたねっ、次回に続くーーーーーーーーーー
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# by yukiwaa | 2008-11-05 15:27 | 生きものいきいき | Trackback | Comments(10)

松本君

昭和31年、私は小学校へ入学した。

平屋で出来た木造の校舎が長く、長くのびていた。
1組から13,4組まであったろうか。
ひとクラスには58人はいた。

特殊学級とかいうものもない時代、障害のある人も一緒に机を並べていた。
ある授業時間に、なんだか水の様なものが流れてきた。
《ナンダロウ?》と思いながら足を上げて避ける。
ミズはドンドン、安物の油でこってりした木で出来た床に、少し浮かんで留まる。
《あっ、おしっこだ!》少し薄黄色をしていたので、それと分かる。

授業が中断される。
皆が誰ともなく、教室の後ろに並べてあるブリキのバケツから雑巾を取り出して床を拭き始めた。

先生は彼女を連れて・・着替えをさせに出た。
何処へ行ったかは覚えてないが、先生がいない間に他の生徒はオシッコを床から始末した。

先生と彼女が教室に戻ると、他の生徒は黒板を見た。
授業が始まったのだ。
彼女は照れくさそうに口を少し歪めて笑っていた。
「かまへんで」と誰かが言った。

その「オシッコ事件」は授業の再開と共に終った。

そんな小学生時代を過ごしていた私は、何となく気になる子がクラスにいた。
松本君である。
小学1年のうちは・・気になる子だけだった。
2年になると・・とても気になる子になった。
3年になり、彼の家は、私の家から十分もしない所にあり、時たま近くまで来て、同じ路上で遊んだ。
松本君は一人っ子で、家は小さな家内工業を営んでいた。数人の人とお父さんとお母さんとで営なまれていた。
あの時代は大概の子供は学校から帰ると、夕暮れまで遊んでいたものだ。
そんな中に松本君もいた。

痩せてきびきびした動作が自然に出来る、
色の黒い聡明そうな目をもった彼を私は何時の頃からか、好きになっていた。

そんなある日、家の前で数人の友達と遊んでいた所へ、
松本君がやって来て、「自転車かして」と言った。
私は「いやや!」と言った。姉が傍で聞いていて、「何でやのん、貸したげ」と言った。
私は「いや!」と言うと家の中に入った。
松本君に貸すのが何故いやだったのか、私はへそ曲がりだったのか、いやっ違う
私の松本君は私には「好きな人」好きな人に「貸す」と言う行為は私には出来なかったのです。
特別に、大切な人に「物を貸す」という一種「借り」を作らせるわけにはいかない。
その時は、そう思ったようでした。
5年、6年になり彼は隣のクラスになり、中学で学校が分かれた。

ある日、クラスの学友が「同窓会」をやろうと言い出し、アッチコッチ手配して皆を誘った。
松本君の家へも行く事になり、私は気が進まぬまま皆に同行した。
彼の家はお父さんが亡くなり、工場も無くなり、彼はお母さんと二人でバラック建ての長屋に住んでいた。
私は皆の後ろで小さくなっていた。
どんな風に話したか私は殆ど黙っていたのだが、
先頭に立っていたしっかり者の女の子がシャキシャキ話して、
同窓会の事を知らせていた。
彼は「見られたくないだろうなぁ・・」と私は思った。


その後、彼は、高校は県下でも有名な「進学校」へ行ったと風の噂で聞いた。

私は学校へ行きながらも、姉と二人で、“酒屋の看板娘”ではなかったけれど、暇な時間には兄の店の店番をする事もあった。

そんなある日、松本君のお母さんが来られた。
私が留守の時です。
私が帰って姉から聞いた話は「松本君、死にはってんて」という事でした。
「なんでやのん・・自殺なんて・・」
松本君18歳。

彼は貧しさに負けたのか・・本当のところは分からないが私は知らせに来た松本君の母親の老け込んだ生活に疲れた顔を思い出していた。
会ってはいないが、姉の言葉で想像していた。

自転車は貸さないまま、彼は逝ってしまった。

何故か、何十年もたつのに、私の心から離れない松本君。
ごめんね、自転車貸さないで。

何で優しく出来なかったのか。。。

人は優しく出来る時はしなあかんな~

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矢車草   6月頃からズート咲いてる。感心な子だ!
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ルリマツイ これも5月頃からズート店先で頑張ってる・・植え替えできひんけど、ゴメンな。
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# by yukiwaa | 2008-11-03 15:18 | 思い出つらつら | Trackback | Comments(9)

観世会館  能楽堂

遠足が待ち遠しくて、眠れなかった小学生のように、私は何かしらの興奮を覚えてその日を楽しみにしていた。
観世会館・・日常の生活とは、かけ離れた世界へその人は私を誘ってくださった。
普段は「能楽堂」として「お能」をやられるそうだが、
今回は「邦楽を楽しむ会」素人の旦那衆が“おさらい会”としてやられるとかで、素人と言えども、発表の舞台は一流である。旦那衆だけでは「華」がないと言うので、芸者さんが笛、小鼔、太鼓、三味線を弾かれたり、舞をこなされる。
初めての私は、朝は何時もよりも1時間早く4時に起きて、仕事を手順よくこなし、早々と12時を聞くなり出かけました。

真正面に陣取れたので、幸いにも臨場感は抜群でした。
皆様には、何も知らない私ですので余計な解釈は抜きで
写真だけで楽しんで頂ければと思います。

では、はじまり~はじまりーのブザーがなります。
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                長唄 連獅子  素ばやし


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       小休憩   ロビーにて。各花街の芸子さん、舞妓さん達です。


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        小唄 辰巳の左褄 
            卯の花      振り   宮川町 ふく葉


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        長唄  秋の色種        舞    先斗町 市園

最後のお二人の「舞」は圧巻でした。
ふく葉さん、少し太地喜和子さんに似てませんか?

                               以上です。

誘って頂いたEさん、有難うございました。
ブログでのお知り合いの方とは初めての「お出かけ」でした。
未熟者ですが、これからもよろしくお願いします。

装い
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# by yukiwaa | 2008-10-29 13:53 | 京都ぶらぶら | Trackback | Comments(14)

働く手

夕飯時分だけど、誰も帰ってこない時間に私はメールを打っていた。
束の間の私の時間だったはずが・・下の息子が何時もよりも早く帰ってきた。
「これ、地図みてプリントアウトしといて」と言いながら、《コレッ》と言って置いたのが試験会場のプリントだった。
「明日やし」。
メールもそこそこにプリントアウトする。
そこへ旦那が帰ってくる。
「悠志、明日試験らしい・・これ、プリントしなあかんねん」
「何処や?」
「枚方の葛葉。○○工業大学やわ」と私。
「葛葉か?良い名前やけど、これは古事記ではその辺の皇族がクソたれて・・くそ。。から、くそは。。くずは。。葛葉みたいになったらしいで~そういう謂われがある。有名な話や」と話しながら旦那は裸になり風呂へ~~
「はっはっはっーー」私は笑いながらプリントアウトを終える。

そんな旦那の仕事中の《手》です。
誰かさんのご要望に応えて、朝の仕事が一区切りした時に撮りました。
あんまり上手く撮れてませんが、今の段階ではこれが限界でした・・

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旦那の手です。これで、いいですか?

ついでに~~
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# by yukiwaa | 2008-10-27 20:26 | 日常そろそろ 散歩 | Trackback | Comments(8)

息子の旅立ち     壱つづく・・

初めて生を受けた我が子へ

誕生。おめでとう。
 今から何年先になるか 定かではないが、君が若しこれを目にしたとき、君の誕生を心から、待ち望んでいたぼくら二人が、これは君に記しておいたものだったのです。
 君が生まれたのは、四月中旬にしては、ずい分、むし暑い日、君の祖父が亡くなって、丁度、四十九日の日の夜でした。君は親戚から、祖父の生まれ代わりだと云われたのです。ぼくたちとしては、初めての子を君の祖父に、見てもらえなかったのは、実に残念に思うのです。でも、祖父が代わって与えてくれた生命だと思うと、実に心和ごむことではないだろうか。
 ぼくたち二人の力量は、あらゆる意味に於いて、君にとって、決して心広き父で、心深き母に、なり切れないかも知れなません。
 しかし、ぼくたちは最大限の努力を惜しまない、--そう、決心し、且つ そうしなければならない責任があることを 充分認識しています。
 これを目にしている君に、ぼくたちの充りない領域があったとすれば、素直に君に謝りたい。
しかし、そうならないよう、もてる愛を全て、ぼくたちは出し尽くそう。
 そして、又、君は君で、僕たちの愛に応えてくれる子になってほしい。
 それから、君が生まれる迄の十月と云う、長い間、君のお母さんは、脆弱な体にもかかわらず、君が五体満足な体で 生まれてくる事だけを願い、全精力を尽くしてくれた事を、決して忘れないで欲しい。
 最後に、君が大きくなるに従って、人と人との関わりほど、どんなに難しく、又、重要であるかが、解かってゆく事だろう。
 そして、ぼくたちは。君がそんな中で。人と人との環を、しっかりと紘ぎとめるに充る、紘い、大きい、深い人間になって欲しいとーーーこのような願いを込めて
 ここに、君を『 紘 』と命名します。

昭和五十三年四月十四日  深夜               
     
      上の文章は主人が長男が生まれた時に記していたものです。


f0181394_1555143.gif 息子のお店
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長男は大きくなるにつれ、「夢」を食べて生きていく子になっていきました。

18歳で専門学校、大阪での一人ぐらい・・音楽への道。
2年後に断念し美容師になりたいと告白。
主人は内心反対でしたがそれは、一切口には出しませんでした。
私は「何でもやりたければやりなさい、その代わり自分で責任もって、自分の力だけでやりなさい」と言いました。
彼は美容院でアシスタントとして修行し「通信教育」を受けながら勉強しました。
7年後、一軒の店を任されるようになりました。
自信とお客さんをつかんだ彼は 2年前の5月に独立し、自分の店を持ちました。
その頃から、息子は「何時までも、家にいて悪いが・・もう、少しお店が軌道に乗るまで・・」と母親には言ってました。
私は何時も「いいやん、何時までもいても・・」と言いました。
彼は「それでは、僕も成長せんで・・やはり一人でやる事から始めんと広がってゆくものも広がらんしなぁ~お母さん心配せんでもええで。男やねんから」
その頃から、臍の緒は切れていたようです。
母だけが幻想していたのでしょう・・・
その息子が来月「一人暮らし」します。
どうにか採算のめどがついたようです。

父の思いがどれ程、彼に届いたかは定かではないが自立する子に“花むけ”になればと思い、父の思いを書き留めました。

3カ月おきに私のhairをカット。毛染めしてくれていた息子。

彼と兼用して使っていたドライヤーがこの家からなくなります。
私は「ドライヤー使えなくなるなぁ^。あんたがいんようになると~」と
ドライヤーとの別れを惜しむ母に彼は新しいドライヤーを買ってきました。

「もしも大変な事が起これば遠慮せずに頼ってほしい・・」
最後の日に私はこの言葉を言おうと思います。

彼は同じ京都に住むのです。行こうと思えば車で15分もかからんでしょう・・でも母も父も行く事はない。
独立しようと頑張る子を追いかけはしない。
だから「たまには顔みせて下さい」とも言おう。

来月中旬に息子は引っ越します。

子供は何時かは親から離れなければなりません。
それが自然でしょう。

頑張って!もう、一回り大きくなった貴方が見たいです。

                                     
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# by yukiwaa | 2008-10-21 15:16 | 生きものいきいき | Trackback | Comments(18)