筑紫哲也さん逝く

筑紫哲也さん逝く。

若い頃からニュース23で見ていた筑紫さん。

自分自身が立っている場所を教えてくれた人でした。

私達は今、何処に立っているんでしょう?

少数派の意見を大切にした人。

沖縄を忘れなかった人。

今の平和はあの戦争を得て手に入れたもの。

戦争をしないために、戦争を忘れないでいようとした人。

大きな機軸であった人。

ご冥福を祈ります。


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by yukiwaa | 2008-11-10 14:26 | 日常そろそろ 散歩 | Comments(4)

Commented by akikonoda at 2008-11-12 11:18
昔、筑紫さんの主催する自由の森大学というところに聴講しにいった事がありました。

佐高信さんの歯に衣着せぬ面白さに度肝を抜きましたが、筑紫さん(あの芯を持ち続けた)、その人を育んでいた、日田という街の風情を壊さないでと言っていたのが、いまも、心に残っています。

Commented by yukiwaa at 2008-11-12 14:53
あきこさんは色んな話を聞きに行かれているんですね。
私も聞きたかったです。
佐高信さん、あの人の論は面白くて、日曜日の朝の番組でよく見て聞いています。

筑紫さんの影響を受けたと前自民党の議員も話しておられた。
平和への道をこれからの世代へ伝えたかったのでしょうね。平和は強い意志がないと守れないと・・
今の日本は「癌」であると、「癌」だと分かると処置の仕方も分かるのではないかと・・・

残念ですね、戦争を体感してる人が又、一人亡くなりました。
私の上の姉と同い年でした。
私は戦中の話を聞かされて、戦後の生活の大変さを聞かされ、経験して大人になりました。
Commented by toco-luglio at 2008-11-12 15:15
筑紫さんは私の親と同じ世代です。
私が生まれる前から朝日新聞一筋のうちの両親は、筑紫さんと
同じ時代に学び、同じ時代に就職して社会人になりました。
筑紫さんが朝日新聞の記者の頃から、うちでは筑紫さんの話題が
よく出ていました。
そして筑紫さんが朝日ジャーナルの編集長だった頃、私は海外に
いました。今みたいにITが発達していなかったので、日本の情報は
1日遅れの新聞や雑誌から仕入れるしかありませんでした。
そんな中で、筑紫さんの朝日ジャーナルを読みふけっていたことを
覚えています。私達の世代で、当時の朝日ジャーナルが愛読誌
だった人は多いと思います。
彼と同じ時代に青春時代を送った私達の親の世代と、その子ども
である私達の世代・・・筑紫さんの言動に、賛同したり、異論が
あったり、親子で話題にしていた家庭は多かったと思います。
筑紫さんが亡くなられて、親戚のおじさん、或いは父の友達が
亡くなったような喪失感を感じました。
Commented by yukiwaa at 2008-11-12 15:33
朝日ジャーナル、主人とも昨日話題になりました。愛読書だったそうです。全て持っていたのに、本が多い主人は結婚の時整理したんだって・・・残念です。
この時代のこの本は画期的だったそうです。

主人、又、時間ないのに、しゃべりこんでました。
あなたより主人は15か20は上でしょうに。。
主人読んだのは学生の頃だったそうですよ。

大きな人を失いました。私も若い頃より彼の言葉を聴いているのが好きでした。何よりも広くて大きかった。
あのハニカンダ顔は忘れられないです。

此れからは残されてゆく人々が何かを伝えねばならないのかもしれませんね。若い人にメッセージを残せる人が必要です。

この国にとっても大きな損失でしょうね。