松本君

昭和31年、私は小学校へ入学した。

平屋で出来た木造の校舎が長く、長くのびていた。
1組から13,4組まであったろうか。
ひとクラスには58人はいた。

特殊学級とかいうものもない時代、障害のある人も一緒に机を並べていた。
ある授業時間に、なんだか水の様なものが流れてきた。
《ナンダロウ?》と思いながら足を上げて避ける。
ミズはドンドン、安物の油でこってりした木で出来た床に、少し浮かんで留まる。
《あっ、おしっこだ!》少し薄黄色をしていたので、それと分かる。

授業が中断される。
皆が誰ともなく、教室の後ろに並べてあるブリキのバケツから雑巾を取り出して床を拭き始めた。

先生は彼女を連れて・・着替えをさせに出た。
何処へ行ったかは覚えてないが、先生がいない間に他の生徒はオシッコを床から始末した。

先生と彼女が教室に戻ると、他の生徒は黒板を見た。
授業が始まったのだ。
彼女は照れくさそうに口を少し歪めて笑っていた。
「かまへんで」と誰かが言った。

その「オシッコ事件」は授業の再開と共に終った。

そんな小学生時代を過ごしていた私は、何となく気になる子がクラスにいた。
松本君である。
小学1年のうちは・・気になる子だけだった。
2年になると・・とても気になる子になった。
3年になり、彼の家は、私の家から十分もしない所にあり、時たま近くまで来て、同じ路上で遊んだ。
松本君は一人っ子で、家は小さな家内工業を営んでいた。数人の人とお父さんとお母さんとで営なまれていた。
あの時代は大概の子供は学校から帰ると、夕暮れまで遊んでいたものだ。
そんな中に松本君もいた。

痩せてきびきびした動作が自然に出来る、
色の黒い聡明そうな目をもった彼を私は何時の頃からか、好きになっていた。

そんなある日、家の前で数人の友達と遊んでいた所へ、
松本君がやって来て、「自転車かして」と言った。
私は「いやや!」と言った。姉が傍で聞いていて、「何でやのん、貸したげ」と言った。
私は「いや!」と言うと家の中に入った。
松本君に貸すのが何故いやだったのか、私はへそ曲がりだったのか、いやっ違う
私の松本君は私には「好きな人」好きな人に「貸す」と言う行為は私には出来なかったのです。
特別に、大切な人に「物を貸す」という一種「借り」を作らせるわけにはいかない。
その時は、そう思ったようでした。
5年、6年になり彼は隣のクラスになり、中学で学校が分かれた。

ある日、クラスの学友が「同窓会」をやろうと言い出し、アッチコッチ手配して皆を誘った。
松本君の家へも行く事になり、私は気が進まぬまま皆に同行した。
彼の家はお父さんが亡くなり、工場も無くなり、彼はお母さんと二人でバラック建ての長屋に住んでいた。
私は皆の後ろで小さくなっていた。
どんな風に話したか私は殆ど黙っていたのだが、
先頭に立っていたしっかり者の女の子がシャキシャキ話して、
同窓会の事を知らせていた。
彼は「見られたくないだろうなぁ・・」と私は思った。


その後、彼は、高校は県下でも有名な「進学校」へ行ったと風の噂で聞いた。

私は学校へ行きながらも、姉と二人で、“酒屋の看板娘”ではなかったけれど、暇な時間には兄の店の店番をする事もあった。

そんなある日、松本君のお母さんが来られた。
私が留守の時です。
私が帰って姉から聞いた話は「松本君、死にはってんて」という事でした。
「なんでやのん・・自殺なんて・・」
松本君18歳。

彼は貧しさに負けたのか・・本当のところは分からないが私は知らせに来た松本君の母親の老け込んだ生活に疲れた顔を思い出していた。
会ってはいないが、姉の言葉で想像していた。

自転車は貸さないまま、彼は逝ってしまった。

何故か、何十年もたつのに、私の心から離れない松本君。
ごめんね、自転車貸さないで。

何で優しく出来なかったのか。。。

人は優しく出来る時はしなあかんな~

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矢車草   6月頃からズート咲いてる。感心な子だ!
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ルリマツイ これも5月頃からズート店先で頑張ってる・・植え替えできひんけど、ゴメンな。
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by yukiwaa | 2008-11-03 15:18 | 思い出つらつら | Comments(9)

Commented by saheizi-inokori at 2008-11-03 18:33
松本君、なんかとてもチカシイ感じがします。
Commented at 2008-11-03 20:29 x
ブログの持ち主だけに見える非公開コメントです。
Commented by yukiwaa at 2008-11-04 21:28
佐平次さん、そうなんですか。チカシイ・・環境でしょうか
あの頃は落ち着いてきた頃なのに、バラック建ての長屋はショックでした。お母さんが生計を支えてられたんでしょうね。
何故あの時亡くなった松本君の家に行かなかったのか
が後悔です。
今はお母さんも姉ももう、この世にはいない。
Commented by yukiwaa at 2008-11-04 21:30
鍵コメさん、有難う。会いたいとは思わないけど、何故あんな事を言ってしまったかと思いますね。

心にもないことを・・
Commented by toco-luglio at 2008-11-05 00:11
十代の頃って、殆どの人がこういう経験したことあるかもしれませんね。
あんなことしなければ、言わなければ、そういう後悔の積み重ねで、
人間は大人になっていくのかもしれないですね。

Commented by yukiwaa at 2008-11-05 15:30
とこさん、小学校3年の時です。何も分かってなかったの。彼に毅然としててほしかった・・・そんな思いです。

彼が何故「死」を選んだか分からないままです。
Commented by saheizi-inokori at 2008-11-05 15:46
壁一枚隔てた二軒屋、2間、水道もガスもない生活でした。
わずかに勉強が出来たこと、相撲が強かったことなどがぐれたりしないで大人になれた理由かもしれません。
ああ、母が偉かった。
松本君のお母さんはどんなに悲しんだことでしょうね。
Commented by yukiwaa at 2008-11-06 15:34
佐平次さん、思い出すと胸が痛いです。
確かに私が大きくなってから訪ねた松本君の家は水道もガスもない生活だったようです。
小さなドアを開けると、道路の続きかと思われる玄関があり、その先にすぐに部屋がありました。
彼はプライドも高く、勉強も出来ました。
もう、一歩頑張れば死ななくても良かったんだろうに。
ただ、大学へ行きたかった彼には厳しい生活でした。
お母さんも年配でした。遅い子だったんでしょう・・
ほんとのところは分からないこれど、あの時代は女の人が、母がすごーく頑張っていた、頑張らないと生きていけない時代だったのかもしれないです。
私の母も働きどうしでした。
此処から、女性の地位が向上したのでしょうね。
何もせずに、女性の自立はない時代。
自らが手に入れる時代・・本物があった時代。
ごめんなさい。ずれました。
佐平次さんのお母さんはほんまに偉い。骨のある、筋の通った人ですね。
Commented by saheizi-inokori at 2008-11-08 09:51
ありがとう。