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33回忌、37回忌の法要でした。

昨日は義父と義母の法事でした。
37回忌と33回忌を一緒にやらせていただきました。お寺さんからのお話で100回忌を迎えられている方が二人いるとのお話で4人の法要をする事になりました。

100回忌と言うと大正2年と4年に亡くなられている方で、生まれは<天保>でした。

7人兄弟ですが、二組はパートナーが亡くなり、それでも兄弟だけで執り行う事が出来ました。

お寺さんのお経が1時間半ほどあり、それからお墓参り、仏前にお参りして坂安で食事でした。

兄弟皆が退職しており、働いているのはウチと家業を継いだ長男の息子さんとこだけでした。

一言で「皆、歳行きました・・・」今度あえる時はどうなっているだろう・・と思われる人もいて
時間の流れを厳しく感じました。

私も「歳」なのかものすごーーく疲れました。
以前は姉さんたちに任せていれば良いことをしなければならないぐらい兄弟の中では<わかい>存在なのです。
皆さんがお寺に着くと用意していた茶菓子とお茶を入れます。テーブルではないですよ。
日本間です。20畳ぐらい(もっとあったかも)ある日本間を一人一人来るとお茶をいれ、肘のクッシンが自由でないと出来ないですね。
「お金」を集金します。
お法要の布施代とお塔婆代です。
やはり、失礼があってはいけないと神経を使いますが^^きっと気に入らない事もしているだろうなぁ~と思います。
上の姉さん達は皆京都の人です。他府県に転勤して住んでいても「私はよそ者やから」と言う感覚が拭い去れないような方たちです。
そんなら・・私もいつまで住んでもよそ者か?・・と少し思いましたが、37年の月日はそれほど拘らなくなっていました。

歳が離れた兄弟は孫がもう大学生でした。色々な世代が家の中にあり、人間的な厚みも出来て、それは「人らしく生きている」と思いました。

勿論、我が息子にも言いたいことは、人としてすることを言いました。
お爺さん、お婆さんの法要の日に。
母が幾つになっているかも・・・言いました。「へっ!そんな歳なん」だって。
自覚がない息子に呆れますねっ^^

義父や義母に手をあわせて、仏様にお願いしてはいけない・・と聞きましたが、やはりお願いをしてしまいました。

お寺さんは「蟻とキリギリス」のイソップの話をして下さいました。
夏の間に遊びほうけていたキリギリスが冬になり食べ物がなくて蟻さんの家を頼ったら蟻さんは「ざまぁみろ。だから怠けずに夏の間も働かないと・・と言ったのに」と言ってキリギリスを追い払うのです。キリギリスは食べ物がなくて死んでしまいました。・・と言う話だそうですが、これは西洋の話でして、仏教的にはこの様な受け止めかたはしません。
今ではこのイソップの<蟻とキリギリス>がパロデー化されていて、食べ物が無くなったキリギリスが蟻さんの家を訊ねると蟻さんは夏に働きすぎて亡くなっていた・・のです。過労死ですね。そこでキリギリスは蟻さんの家の食べ物を食べて生き延びるというお話です。

結果主義ではいけない・・少なくとも仏教的には蟻がキリギリス(困った人)を助けないで<ざまぁみろ>と言うのは良しとはしません。結果オーライではないのです。
自覚がなくそのときに遊んでも
後で困った人をも助けるのが<あっ~やっと今頃気がついたのか・・と>手を差し伸べるのが仏教的なのです。

そんなお話でした。

法事で頂いた懐石料理・・・久しぶりのご馳走でした。
晩御飯が頂けなくなるぐらい・・・頂いちゃいました。

by yukiwaa | 2014-05-27 15:45 | 社会  山登りしんしん