家族って?
結婚して36年。
慣れない土地で、貧乏と同居しながら
愛情だけは、精一杯、てんこ盛り・・・
息子達が生まれ、下の子が2歳、上の子が6歳の時、「独立」を考えた。
「モノポール」の誕生である。
大勢の人を雇い、大きな商売を始めた。
貧乏と同居から「大きな人並みはずれたローン」との同居生活が始まった。
優しくしなければいけない家族に愛情は、てんこ盛りなのに、思うようにあらわせない<人並み外れた忙しさ>が毎日の生活のベースになった。
優しい旦那も優しさをどこかに忘れて闘っていた。
私は辛くて^^^よく、怒らなくても良いことに怒っていた。
それも大切な家族に^^^息子達に^^^
やはり、長男にはぶちまけたように思う。
母親らしくない「じぶん」がそこにいた
店の子に仕事を教える事が私の仕事でもあった。
そこにも結構厳しいじぶんがいた。
でも、<頑張る事>だけは日々続けていた。それが「信念」でもあった。
でも、他人様に強要してはいけなかったことでもある。
でも、私はしていたように思う。
それは息子達にもしていたように思う。
食事も手抜きせず、学校の行事にも参加して、勿論仕事は120%やり続けた。
眠るのは何時も居間の絨毯の上・・・コロンと横になると朝になっていた。
朝は起きるとすぐに仕事。
コーヒーなんか飲んでいる時間もなかった。
食パン10本分のサンドイッチの製造に取り掛かる。
幼稚園のバスが来ても、私はレジをたたいていた、
下の子が幼稚園、上の息子が小学校1年生でした。
朝ごはんは「パン」・・・でも勝手に、店に下りてきてパンを取り食べてもらう。
たまに簡単な朝ごはんを4時に起きて準備するが、一緒に食べる事は出来ない。
息子達も大変だったんだろうな^^
でも、これが我々の「生活」だった。
これらを通り抜けても、わずかな年金との老後生活が間近にくる事だけは「人生設計」の中にあった。
だから、無理をしても普通の家がほしかった。
家族の帰りを夕食の準備をして待つ。
店の事を気にしながら家事をしなくてもすむ普通の家が・・・ほしかっただけ。
だから無理してやっとモノポールの<人並み外れたローン>地獄から抜け出すと、すぐに<普通の家>を
又、又ローンを組んで買った。性懲にも無く^^^
上桂の家です。
此処に帰ると、夫婦は普通の夫婦に戻れた。普通の「お母さん」に戻れた。
モノポールでは、何時も「戦闘モード」だったように思う。
何の余裕もない家族が・・・そこにいた。
それでも、社会はそこまで甘くなかった。なだれが襲い掛かるように店の売り上げが阪を転げるように落ちてきた。
そこからモノポールは完全に夫婦二人でする事になる。
陰で助けてくれたのは社会人になっていた二人の息子達。
家を助ける位のお金を入れてくれた。
そこで、逃げ切れた。
上桂のローンも終わらせた。
少しの貯金も彼らの助けで続けられた。
今は二人の息子に返す為に2件の家をi維持させている。
何時か良い形で彼らに残したい・・・・その一念だけである。主人も同じ思いだろう。
でも、此処で親の<勝って>がでます。
親の思いを良い形で受け取れる息子であってほしい~~と言う<勝手な思い>です。
大晦日に長男が帰ってきた。
色々な迷いや、寂しさや、親に対する不満が・・・あった。
でも、今更言うなよなぁ~~と思いながら
親も「良い形で受け取れる息子」を願ったから、親にも言い分がある。
私は素直に「私達の生活」の事を話した。彼らが子供で知らない事実も話した。
私の至らぬ母親としての姿にも後悔を示した。
でも「良い形で受け取れる息子」を願ったからか?
長男と気持ちがすれ違う・・・
これは彼が越えないといけない事柄であり、親はもう、静かにみている事しか出来ない。
悲しい気分になったけれど、又彼らが何時の日か親の心情が分かる日が来るだろうと思いながら、
又働かんと^^^と思った。
次男は色々な社会で生きている、会社での人たちであり、現場での人たちであり、役所の人たちであり、大手のメーカーの人たちである・・・それらの方々には彼は自分のもつ「仕事力」で対処している・・ように見える。
やはり、自営の長男は世界が狭くなるのか?・・・でも自分で越えて、自分で勉強して大きくなってください
・・と言う意外ない。
男同士の兄弟。
後を追ってくる弟に対しての「焦り」もあるのだろうか?
彼は今、寒い国にいます。
お母さんは願っています。
只、ただ無理をせず暖かい国で暮らせることを!
お父さんも願っています。
只、ただ無理をせず、人間的に大きくなることを!
可愛かった頃の息子達、私はいつもスニーカーで「戦闘モード」でした。
昨年2月から「戦闘モード」からの卒業をしたばかりの私が今此処にいます。
by yukiwaa | 2013-01-02 12:30 | 生きものいきいき