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少し、疲れました、、、

あのねっ、昨年の秋から「ちょっと、具合悪いかななぁ~」と毎日の店の売り上げを見ては考えていたのねっ。
だからーと言うわけでもないけれど、その頃丁度「高齢者福祉施設」からの要請で、「パンを~福祉施設へ」と言われたの。
余り、そのゆう風に出かけて、パンを売る・・・と言う事には少し抵抗があったん。でもねっ店の事を考えて行くことにしたの。
別に、ご高齢の方に喜んでもらおうと、そんな高貴な精神はなかったの。
よく売れても、3,4、千円ぐらいだろう・・・それも2ヶ月遅れの支払いになるけれど、それはご高齢で「お金の計算が出来ない方が多い」と言う事情を聞いていたので、それは仕方ない・・と思ったの。

でもねっ、毎週彼ら、彼女達を見ていると、楽しい思いや、ため息をつく思いや、施設の人々の優しさに驚いたり、その優しさに、何時も何でも優しい、平らな優しさに私は息がつまったの。

人がそんなに優しくなれるのか?と懐疑的にもなったの。でも彼らは「仕事」なのです。そうして接する事をプロとして学んでいるんでしょうね。
私には出来ない・・・と思いました。そんな、何時も、何時も優しく接するなんて、、、無理。

でも、できれば<生きている会話>がしたい!・・と毎週行くうちに思うようになりました。
パンも施設利用者だけでなく、職員さんも買っていくようになり、一応受け入れられてる感じで出かけることが出来ているのですが、やはり、私の年齢では末は「私の姿か?」と思うと、多分、我々の頃はこの様な施設には入れない世代でしょうから、一人でも頑張らんとあかん、、のやろうなぁ・・と自分の老後も少しは頭をよぎりました。
そんな事を考えるなんて、今までなかった.

私たちはきっとこの様な集団生活は苦手だから、這いながらも自宅でいたい・・・と主人と話ました。

そんな事で週に一度と言えども体力的にも、精神的にも少し疲れる仕事になっていたのです。

最近は施設利用者さんはお手伝いして下さる職員さんに任せられる人は任せて、私と話をしたそうな人だけになるべく「普通の会話」をしています。
名前を覚えた人も何人かいます。
「あんたはん、わての名前はよっ覚えははりましたねぁ」と若い頃はきっと美人だったであろうご婦人がきれいな京都弁で話された。
「私は田舎もんやから、パンみたいなハイカラなものはあまり知らんねん」というご婦人。
「田舎何処です?」と聞くと
「横浜」と言う。
「田舎やないやん」と言うと横にいた職員さんが「少し、痴呆症が^^^^」といわはりました。
「あっ、そうですか」と絶句する。でも最近はだいぶ慣れてきて、大丈夫ですが、やはり、接するのは難しい。

何を、グズグズ書いているんでしょう?

やはり、ストレスが溜まるんです^^^^
今までのテンポでパンを売れない。
職員さんたちのパンに対する思いいれが当たり前だけど、私とは違う。
たまに、神経を逆なでするような事もいわれる。
それは悪気はないのは分かっているので、笑う以外ないのです。

利用者さんはヘルパーさんや職員さんに対してとても従順です。
頼りきっている、信頼のたまものなのか。弱いものの取るべき態度なのか?

もっと素直に見られれば楽なのに、でもその事から感じることあります。

「生きる」事の大切さ、「生きつづける」事の後ろ姿を彼らは私に見せているのだと。

そこで、何を感じて自分の「生きる」事につなげるかは個人、個人違うだろうけれど、
子育てが終わった我々も、息子や娘達にまだ、何か伝える事があるとすれば、その「最後まで生きてゆく姿」かもしれない・・・と思いました。

~~~そんなこんなで気持ちはあまり、「やる気がでる」もんではなかったのです。

それに今回の災害^^^^

私は痛い注射をする時に必ず体のどこか違う部分をきつくつねったりして、注射の痛みから気を散らす癖があります。
そのような癖は、嫌な事が起こると、そのことの悲しさに耐える為に、自分を少し、傷めるというふうにもなる。
別に、たいした事はないんですよ。
傷をつける・・とかそんな事はないのですが、怠惰になり、怠惰になり、自分が嫌いになるんです^^^・・そのような癖です。

でもこれは私を駄目にします。

だから^~これからは少しでも元気になりたいのです。

震災で多くの人の悲しさが伝わってきました。
多くの人の熱い応援にもこころが動きました。

でもこらからは「普通の日常」を過ごしたいのです。

すいませんでした、ナガナガ・・と・・・こころが少し疲れています。

でも、明日も仕事です。

ーーーーーーーおやすみなさいーーーーー

by yukiwaa | 2011-04-05 01:04 | 日常そろそろ