震災。忘れない。

その時、私は大きなまな板の前で店のサンドイッチを作っていた。
職人はフライアーを使いながら、もう片方で窯へのパンを出し入れしていた。
旦那は奥でミキシングしながらパンの成型をしていた。

グラッ、グラッーグラグラーーと大きな揺れがきた。
<何だろう?>と思う間もなく、大きな揺れきた。
グラーーーグラッー。
「地震や!」と叫んだ主人の声と同時にフライヤーのガスは止まり、3人は異変に驚いた。

私はすぐに表に出た。
螺旋階段で二階へ行こうとしたが、ふと階段を見ると、3階建ての建物がユラーと左右に揺れていた。
怖さで足が竦み、その場でしゃがんでしまった。
主人が追いかけてきた。
「何してるねん」
「子供、、こども、、上見てきて!」と言うだけで私は動けなくなった。

主人は上にあがり、子供達の安否を確かめた。

暫くして、我にかえった私は実家へ電話するが^^^^電話は通じない。
暫らくしてから母から電話が入る
「大丈夫か?」
「うん、大丈夫。そっちは?」
母は大丈夫と言ったが後に聞いた話では酒屋をしていた兄の倉庫の酒瓶や醤油瓶が倒れ、風呂場の壁も落ちたようだった。
大きな損害がそこにはあったが家族は皆無事だった。

息子達は中学生と高校生だったが、その頃、二段ベッドで下が弟、上が兄が使っていたが、地震で揺れているとも思わず、弟は兄に「お兄ちゃん、ベッドゆらさんといてー」と言っていたようでした。
「Y(弟の名前)、地震や!はよ、起きて、下へいけ」兄は弟を起こして下の居間にいた。

テレビでニュースを聞くが、その頃はそんなに大きな地震だという認識もなく、息子達には<学校へ行くよう
>に言った。
長男は電車を乗りついで学校へ行ったが、学校は先生が来られてなくて、休校になっていた。

その日の夜のニュースで大きな地震だった事を知る。

たくさんの方が亡くなり、知人の家も倒壊した。

店にはたくさんの人が知人や親戚等に食料としてのパンを買い求め、運んでいた。
そのたびに、何処そこがどうゆう状況だという話になり、実家辺りが境目でそこよりも神戸よりが被害が大きいのが分かる。
気が気でないが、ただ京都で店をしていた。
お店の隣にある事務所の大きな二階まであるガラス窓も全面、割れていた。
近くのマンションの家具が倒れた話も聞いた。
でも不思議な事にモノポールは頭の上に棚があり、そこには大小さまざまな瓶類が並んでいたが、何一つ落ちて来ず、店のガラスも割れず、不安定な二階の神棚のお神酒類だけが、二つ、三つ落ちていた位ですんだ。

でも、この日を境に関西の経済は坂を下るが如し、何年か後には大阪にあった企業の本社が殆ど東京へ行く事になる。
京都の企業だけは京都からは出てゆかずにいたが、大阪の疲弊はすごいものがあった・・と聴いた。

神戸にその頃からまだ行けていない。

悲惨な神戸を見たくない気持ちがそこにはあった。

懐かしい神戸だけが今の私にはある。

2月に神戸へ行く事にした。

震災から16年、建物や概観は復興したが、、いまだ一人で亡くなる人も多く。
心の傷も癒えない人が多いと聴く。
国の支援は薄く、ボランテイアに頼る人への支援。

今、日本は政治に頼れない。
我々一人ひとりが何かをしなくては、、、という思いが「タイガーマスク」伊達直人運動に繋がっているような気がする。
コレは今の政治への痛烈な反面教師だと私は思う。

決して忘れてはいけない震災。----黙祷をささげる。


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その日は雪ではありませんでしたが、こんなに、寒い日でした。
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by yukiwaa | 2011-01-17 15:51 | 生きものいきいき | Trackback | Comments(10)

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Commented by saheizi-inokori at 2011-01-17 17:31
3ヶ月ほど経ってから三宮あたりに行きました。
Commented by takoome at 2011-01-17 18:52
サワディ〜カ〜
あの朝のことは今でも忘れない。
地震直前の犬達の異常な遠吠え、
私はそれで目が覚めたのだから・・・・
Commented by トランプ at 2011-01-17 22:26 x
今朝、黙祷をしました。

*先日来日していたCarlssonさんの実家はこの日全壊しました。*
Commented by yukiwaa at 2011-01-18 14:06
佐平次さん!こんにちわ。
息子は10日も経たないうちにバイクで友人と神戸へ行きました。
むごい状況を聞きました。

それから機会がなくて行けていませんが、、
震災にあわれた方で仮説に居られた方の三分の一がもう、亡くなられています。今尚、一人でなくなる方もいて、国は何をしてるのでしょうか?
無力感が漂います。
Commented by yukiwaa at 2011-01-18 14:10
蛸さん!こんにちわ。
その頃は日本の関西にいたんですね。
ゲンがいたんだけど、仕事中だったので、そこまで気が周らなかったけど、きっと息子達の部屋で震えていたんでしょうね。
京都は震度5でした。屋根が落ちた家もありました。

忘れたら駄目ですね。
Commented by yukiwaa at 2011-01-18 14:17
トランプさん!こんにちわ。
色々な被災者の映像を見ましたが、神戸のパン屋さん、同じ時間に私たちと同じように夫婦で働いていて、大きな窯の下敷きになったパン屋のお父さんが「早く逃げろ!、早く逃げろ!」と奥さんに言われたとか、、、ジッート窯の下敷きになり火が回り燃えて、その中で亡くなってゆく、ご主人を見なければならなかった奥さんと子供さんたち。
忘れられない家族の話でした。

Carlssonさんのご家族は大丈夫でしたか?
Commented by kaorise at 2011-01-18 23:07
私もあの震災の朝は忘れられません。
情報は少なかったですが、直感で大変な事になった、
何か私にできる事があるなら、やらねばならない、と感じました。
しかし当時、経営していた写真スタジオは倒産寸前の状況。
毎日の資金繰りは大変だったのですが、何としてでも寄付すべきと思い、
会社名義でなけなしのお金の一部を義援金にしました。
ところがパートナーから「人にしてやる場合か!」と叱られた。
そのとき私は心のどこかでこの人とは一緒にいられない。と悟りました。
結局私達は働いて、会社を立て直しすることができたので
やはり寄付してよかったんです。
神戸の地震とともに、自分の人生の大きな転換を体験したような気もします。
Commented by peko-nanamama at 2011-01-19 22:44
16日の朝 テレビを見ていたら小さな子供の写真を手にした人が「4歳でしたから 今年成人式です・・・生きていたら」と・・・
小さな命もたくさん消えていったのですよね
孫を抱きながら涙があふれて困りました

神戸の叔母もいとこもがれきの下になりましたが大きな怪我はなく元気に頑張っています
きっと私にはわからないたくさんの悲しみや苦労があったことでしょうね
この年まで何事もなく生きてこられたことは本当に幸せなことです
Commented by yukiwaa at 2011-01-22 15:49
kaoriseさん!こんにちわ。
なけなしのお金は大事ですね。事業をしているとそれは人の血や肉と同じですね。
そのお金の動かし方で、その人の事業の展開の仕方が見えてきます。
それは性格がモロに出ますね。
ご主人が言われるのも分かりますね。
でもそれ以上に太っ腹だったkaoriseさん、ご主人の理解を超えるものだったんですね。
その場合、男と女が逆はよくあるし、それはそれで許されそうですが、男は^^^辛いものがありますね。

あれ以後、立て直す事が出来たのはすごいですね。
でも、女が「だめだ!」と直感した時は駄目ですね。
きっと、ご主人の「言い方」が駄目だった気がします。
価値観の違いは写真を撮るという・・創造的な仕事の場合はつらいものがありますものね。


やはり、人間は少し、ボーとしていたほうが「しあわせ」かもですね。
Commented by yukiwaa at 2011-01-22 15:55
peko-さん!こんにちわ。
神戸にご親戚がおられたのですか。辛い関西の地震でしたね。あれは神戸だけでなく関西に全体にダメージを与えましたね。

震災にあわれた方は「生活苦。精神的な苦痛、将来の不安、家族の世話・・・それはそれは何重にも大変だった事でしょうね。

でも、人間は、諦めなければ生きてゆけるのでしょうね。