戦場

<戦場>は                                                    
いつでも
海の向こうにあった
海の向こうの
ずっととおい
手のとどかないところにあった
学校で習った地図をひろげてみても
こころの中の<戦場>は
いつでも
それよりもっと遠くの海のむこうにあった。

ここは<戦場>ではなかった。
ここではみんな<じぶんの家>で
暮らしていた。
少しの豆粕と大豆とどんぐりの粉を食べ
垢だらけのモノペを着て
夜が明けると
血眼になって働きまわり
日が暮れると
そのまま眠った
ここは<戦場>ではなかった。

海のむこうの心の中の<戦場>では
泥水と 疲労と 炎天と 飢餓と 死と
そのなかを
砲弾が 銃弾が 爆弾が
つんざき 唸り  炸裂していた

<戦場>とここの間には海があった
兵隊たちは
死ななければ
その<海>を越えて
ここへは帰ってこられなかった


その<戦場>をひきさいて
数百数千の爆撃機が
ここの上空に
殺到している

焼夷弾である
焼夷弾が投下されている
時間にして数十秒 数百秒
焼夷弾が
想像をこえた量が
今 ここの上空から投下されているのだ
それは空中で
一度炸裂して
一発の焼夷弾は72発の焼夷弾に分裂し
すさまじい光箭となって
地上にたたみこまれる
それは
いかなる前衛美術もついに及ばぬ
鮮烈不可思議な
光跡を画いて
数限りなく
後から後から地上に
突き刺さってゆく

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 地上
そこは<戦場>ではなかった
このすさまじい焼夷弾は
攻撃にさらされている
この瞬間もおそらくここが
これが<戦場>だとはおもっていなかった

爆弾は恐ろしいが
焼夷弾はこわくないと教えられていた
焼夷弾はたたけば消える
必ず消せ
と教えられていた
みんなその通りにした
気がついたときは
逃げ道はなかった
まわり全部が千度をこえる高熱の炉であった
しかも だれひとり
いま<戦場>で死んでゆくのだ とは
思わないで
死んでいった

夜が明けた
ここはどこか
わからない
見わたすかぎり 瓦礫が
つづき ところどころ
余燼が 白く煙をあげてくすぶっている
異様な吐き気のする臭いが立ち込めて
うだるような風が ゆるく吹いていた

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しかしここは<戦場>ではなかった
この風景は
単なる<焼け跡>ですぎなかった
ここで死んでゆく人たちを 誰も<戦死者>とは呼ばなかった
この気だるい風景の中を動いている人たちは
正式には 単に<被災者>であった
それだけあった

はだしである
負われている子をふくめて
この6人が6人ともはだしであり
6人が6人ともこどもである
おそらく兄弟であろう
父親は出征中だろう
母親は逃げおくれたのだろうか

持てるものだけを持ち
6人が寄り添って
一言も言わないで
だまって焼けた補道を歩いてゆく
どこからかきて どこへ
ゆくのか 誰も知らないし
誰も知ろうとしない

しかし
ここは<戦場>ではない
ありふれた<焼け跡>のありふれた風景の一つにすぎない

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あの音をどれだけ聞いただろう
どれだけ聞いても
馴れることはなかった
聞くたびに背筋がきいんとなった

6秒吹鳴 3秒休止
6秒吹鳴 3秒休止
それの10回くり返しで
空襲警報発令

あの夜にかぎって
空襲警報が鳴らなかった

敵が第一弾を投下して7分も経って
空襲警報がなった時は
東京の下町は
もう、まわりがぐるっと燃え上がっていた
まず周りを焼いて
突破口を全部ふさいで
それから その中を
碁盤目に 一つづつ
焼いていった
1平フォーメートル当たり
少なくとも3発以上
という焼夷弾<みなごろしの爆撃>

3月10日午前0時8分から2時37分まで
149分間に 
死者88793人(その後死者は10万を越したと伝えらている)
負傷者113062人
この数字は
広島 長崎を上まわる

ここを単に<焼け跡>
とよんでいいのか
ここで死に ここで傷つき
家を焼かれた人たちを
ただ<被災者>で片付けてよいのか

ここがみんなの町が
<戦場>だった
こここそ 今度の戦争で
もっとも凄惨苛烈な<戦場>だった
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昭和48年8月10日発行
暮らしの手帳編集部
「戦争中の暮らしの記録」保存版  定価850円
発行所  暮らしの手帳 

より記事も写真も抜粋させていただきました。

若い人たちに読んでもらいたいと思い勝手に使わせていただきました。
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by yukiwaa | 2010-08-09 12:46 | 生きものいきいき | Trackback | Comments(12)

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Commented by saheizi-inokori at 2010-08-09 13:42
この本ももってます。背負われているのが私くらいです。
Commented by antsuan at 2010-08-09 16:18
こういうことは歴史に埋没させてはなりませぬ。
決して忘却の彼方に追いやってはなりませぬ。
Commented by kaorise at 2010-08-10 00:29
私は小学生のころ、母の持っていた暮らしの手帖のバックナンバーで
こうした記事を沢山読みました。
生活と密着した戦争体験のルポは、とても生々しく子供の私に
戦争の残酷さを伝えてくれました。
こういう記事を載せる雑誌は見かけなくなりましたね、、
数ページでいいので8月号に特集してもいいのに、と思います。
Commented by toco-luglio at 2010-08-10 02:24 x
こんばんは。先程まで、先日見損ねたNHKスペシャル「封印された原爆報告書」を見ていました。うちの母もずっと「暮らしの手帖」を購読していました。この号は記憶に無いのですが花森先生の「一銭五厘の旗」という本がうちにあり、私も読んだ記憶があります。戦争中、旧制高校生だった夫の父や女学校生だった私の伯母は、勤労奉仕で軍需工場へ行かされて、そこで爆撃に合い同級生を多く失ったそうです。義父はその後、大学でも文科に進んだ友人は学徒動員で戦地に赴き、還ってこなかった人も多かったとか...夫の母もこの写真の二番目に歩いている女の子ぐらいの時に空襲に合い、焼夷弾の雨の中を逃げ回ったそうです。私の世代の親までが、戦争を記憶している最後の世代でしょう。私は幼い頃から、両親だけでなく祖父母や親戚から戦争の話を聞いて育ちましたが、祖父母は既に無く、年老いた私の親も孫達には、あまり
戦争の話はしなくなりました。先の戦争の経験者が少なくなり、語れる人が少なくなってきた今、これからの子供達には、日本史の勉強を文系理系を問わず、学生の間は必修にして、現代から遡って勉強して、修学旅行は広島長崎沖縄に必ず行くということにすればいいと思います。
Commented by トランプ母 at 2010-08-10 07:57 x
おはようございます。
この暮らしの手帳、、見た覚えがあります。

こんな記事を当時、よく特集で読みました、、が、、最近暮らしの手帳も:やわらかい!:です、、ね。他の本もそうですが。

↑のtoccoさんが言われるように修学旅行は必須で広島長崎沖縄に、、同感です。

大学生の息子が旅行中に買って来た文庫本!
「東條英機 歴史の証言」でした。
広島の本屋で買ったそうです。
Commented by yukiwaa at 2010-08-10 15:12
佐平次さん!こんにちわ。
おんぶされているのが佐平次さんですか?
私はマダマダ生まれていないですが、、
姉、兄が疎開組でした。母は生活に追われていたのか、戦争の話はあまりしなかったんですよ。でも姉がよく、話してくれたので、如何にか覚えています。
高校生位の子がもう一度振りかえってほしいです。
Commented by yukiwaa at 2010-08-10 15:25
あっつあん!こんにちわ。
そうですよね。でも関東大空襲はあまり語られないですね。
日本の家屋が木造で、その家屋に一番効果のアル焼夷弾を開発したんですよね、家の中で爆発して、障子や襖や畳が焼けてゆき、その中で人が焼け死ぬのを目的で作られた焼夷弾。
アメリカは今も同じことをしています。
ベトナムではナパーム弾、イラクでは劣化ウラン弾。
ナパーム弾は森林を焼き人を焼き払いました。ウラン弾はその後白血病や癌で人々を苦しめた、、、こんな武器を作って経済を廻しているアメリカに世界は何もいえないのでしょうか?
人を人とも思わぬ武器です。
全ては焼夷弾から出ているのです。焼夷弾はテスト弾丸でした。
子供、女を殺すのが目的、戦意をなくさせるためだと聞きました。
この時代の人がどれだけ耐えたか、、、私たちは覚えておかないといけないですね。
Commented by yukiwaa at 2010-08-10 15:31
kaoriseさん!こんにちわ。
ダンダン雑誌も骨抜きに、、、kaoriseさんはその様な雑誌作れるのでは?ないですか?
ブログの仲間から協力できる人を募り、その様な雑誌を若い人に見てほしいです。何か企画できませんか?
あなたの写真の腕と文章力で、、夢でしょうか?
何か、、出来ないんでしょうか?
若い子が希薄になりつつあります。如何にか伝えてゆきたい!!ですね。
Commented by yukiwaa at 2010-08-10 15:38
とこさん!こんにちわ。
日本史の中で「現代史」が殆ど教育の場に出てこなくて、私たちは育ちました。それが政府の文部省の教育でした。「現代史」を見せないようにしたのです。それが今の若い子にも影響してます。
日本がしてきたたくさんの「占領戦略」や都合の悪い事を封印したかったのでしょう。

<学生の間は必修にして、現代から遡って勉強して、修学旅行は広島長崎沖縄に必ず行くということにすればいいと思います。>その通りです。わが息子たちはオーストラリアでした。何の勉学もなく、迎合した旅行でした。
文部省が動かないと現実にはならないですね。
Commented by yukiwaa at 2010-08-10 15:46
トランプさん!こんにちわ。
この本は姉が買い求めたものでした。1日に何冊も本を読み漁る姉でした。ダンボールに本が溜まると、古本屋に売りに行きました。小さな自転車の後ろに乗せて、よく手伝いました。
この本は、結婚の時私が、頂いてきました。
本当に柔らかい本ばかりですね。
息子さん。よく本を読まれますね。楽しみですね。
今、主人は「森を破壊してきた人たちと森を守ってきた人たちの闘い」という本を読んでます。
Commented by eaglei at 2010-08-10 23:09
子供の頃に横田基地の航路の下に住んでいたので、
戦後時代に生まれてないけど、戦争には関心が強いです。
特にベトナム戦争のことは、強烈に印象が残っています。
ベトナム戦争に関する映画も、たくさん観ました。

昔は戦争が、テレビを通じて家庭に飛び込んできました。
今や、報道すら制限されていますね。
Commented by yukiwaa at 2010-08-11 15:21
eagleさん!こんにちわ。
横田基地に近くですか?飛行機の音が煩くなかったですか?

確かに報道が少ないですね。
規制されているのですか?まさかっ、、、
確かにアジアに戦争が多いですね。
民族的なものなら、他の国は介入しない方が大きくならないように思うのすが、、そうは出来ない「世界」になってきましたね。

たくさんの子供が犠牲になってますね。