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どないしたん?呼び鈴なったで、行かんと。

「おい!カメラより電動自転車考えた方がええど」と旦那。
「でも電動は運動にならんしなぁ・・」と私。
「どうせ、歳いくうんやから、必要なんは電動やで」と旦那。
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確かに去年の《めまい事件》の時、不本意にも“死んだ方が楽かも”と一瞬だが思った。その時に何時もよりも年齢を感じたのは確かなのだが、こんな風に言われて気分がいい訳がない。

五木寛之さんの《人間の覚悟》の中に《人生百年と言う今の時代でいうなら、50歳位までに山を登りつめたなら、其処で10年位は頂上に留まったとしても、それから先は60歳からの長い下山を始めないといけないわけです》とあり、其処からの“下山の哲学”をもたねば・・とあり、《下山は決して寂しい惨めな事ではないし、穏やかで豊穣で、それまでの知識や情報では及びもつかなったような知恵にふれる、そうゆう期間であるはずです》とそして《山を下りるその時は疲れているだろうと思いますが、その疲れは人生の正しい疲れであって、ひたすら上を目指して競争してる間は気がつかなかったことが感じられる》
五木さんの文章は旦那のあの言葉と同じように、ある時は何やら納得がいなぬ言葉だったり、ある時は「真実かも」とギクゥとするのですが、確かに何かに引きつけられるようにこの本を読んだのです。

精神的に若くとも、体が教える信号があるのかもしれない。
それを自覚しながらも“ジタバタ”するもよし・・と思った。

最近は、《ポトスライムの船》(津村記久子著)に出てくるナガセという29歳の契約社員がもらう163万円と言う年収と同じ“クルージングで世界一周”の1年間の旅に、惹かれる様が・・要約すると、生きる為に薄給を稼いで、小銭で生命を維持している。そうでありながら、工場でのすべての時間を、世界一周と言う行為に換金する事もできる。・・・自分の生活に一石を投じるものが、世界一周であるように思う主人公ナガセに・・私は何故か共感した。
大阪出身のナガセのお金の計算の仕方が上手く描かれていて、「あぁ、私もこんな計算したなぁ~」と思いながら読んでいる。お金の計算というと京都の御人は「下賎な事」の様に言うかもしれないが、大阪人のナガセの様な子の計算は“その計算の仕方、お金の使い方自体が己の生き様でもある”のだ。これは堂々と楽しく計算すればいいのだ。それは必要な計算で「己の夢」と直結している。
その辺が面白い・・・今は読んでいる途中ですが、これからの若い子に何かの目標みたいなものが、自分自身の手で、角度を変えた視野で、作り出せるのではないかと思わせる話になりつつある・・・
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それで、カメラより電動自転車を考えるの?
いやいやっ、どちらも手が届かんです・・
とナガセのような“やりくり”が頭をもたげた。
気まぐれは何時まで続くやらです。

つぶやき: 私も行きたかった[世界一周]。現実を生き抜く以外なかったのかなぁ?


追伸:暗くなると自動的に点灯するライト付けました。
自転車の車輪の横にしました。取り外しは「忘れる自信大いにあり」なので。

五木寛之「人間の覚悟」より抜粋。
津村記久子「ポトスライムの船」より抜粋。
「写真」ネットより掲載。

by yukiwaa | 2009-03-15 15:13 | 社会  山登りしんしん